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★★★★★ お勧め観光コース
長崎へようこそ  
 

A コース : 長崎駅から蛍茶屋(ほたるじゃや)方面へ

 


このコースは、元気な方であればおおむね徒歩ででもまわれる距離です。長崎駅を基点にして、まず26聖人殉教の丘から出発してみましょう。 @〜Nがお薦めのコースですが、時間があれば〔オプション〕にも立ち寄ってみては如何でしょうか。

   
@ 
日本26聖人殉教地・記念碑・資料館

26聖人
二十六聖人殉教記念碑と西坂教会


1597年2月5日、秀吉の禁教令により京都で捕らえられた切支丹(キリシタン)らが長い旅を続け、最終的には6名の外国人宣教師、20名の日本人修道士、信徒がこの丘で十字架につけられ殉教しました。長い切支丹禁教のため殉教した場所さえ記録から葬りさられていましたが、宣教師フロイスの記録などによって、現在のこの地が1622年9月10日の55名を含めて148名もの切支丹が召された場所であることが分かっています。長崎駅や港が一望できるこの丘には26名の記念碑(殉教の苦しみよりも、召天の喜び、勝利を表現したもの…船越保武作)の他、日本でも有数のキリシタン史の記念資料館があり、多くの資料が展示されています。長崎に来られたら是非立ち寄って頂きたい場所の一つです。

  ☆JR長崎駅から徒歩5分 記念碑のある園内は24時間 記念館:250円 9-17時 無休 P15台
   
A 
岡正治平和記念館(おかまさはる)

「被害者の痛みを心に刻み、戦後補償の実現と非戦の誓いを・・」との願いをもって建てられたユニークなミュージアムです。第二次世界大戦の日本による侵略戦争で多大の被害を受けて犠牲となったアジアの人々の叫びと真実を語り続けた、ルーテル教会(プロテスタント・福音派)の故岡正治牧師(平和活動家・長崎市議)の意志を継いで創立されました。展示内容は、「侵略と皇民化」「強制連行」「南京大虐殺」「韓国・朝鮮人被爆者」「戦後補償」などです。一般の観光案内にこの資料館はあまり載っていませんが、被爆地長崎において、加害者・被害者双方の痛みと戦争の愚かさを知り、二度とあのような愚かな戦争を繰り返さないためにも訪ねてみたい所です。

岡正治平和資料館 ☆ 26聖人殉教地から徒歩1分 大人250円 高校生まで150円 
開館: 9-17時(電話予約すれば18時まで延長可能)  休館日:月 駐車場無

   
B 
本蓮寺:サン・ジョアン・バウチスタ教会跡 (ほんれんじ


本蓮寺:キリシタン古井戸


  1591年、ポルトガル船総司令官ローケ・デ・メロベレイラの寄付によってこの地に*サン・ラザロらい病院(ハンセン氏病)が建てられた。1594年、後に26聖人のひとりとなったフランシスコ会司祭バウチスタによってこの教会は建てられ、長崎岬の被昇天のマリア教会(現県庁)と、トードス・オス・サントス教会(現春徳寺)とともに長崎の3大教会と言われていました。
サン・ジョアン・バウチスタ教会とは、「バプテスマの聖ヨハネ教会」と言う意味で、キリストの先駆者としてバプテスマ(洗礼)を授けていたヨハネの名からと司祭バウチスタにちなんでつけられました。1614年の大禁教により取り壊されて現在は日蓮宗:本蓮寺が教会跡に建っています。このお寺も原爆で殆どの歴史的資料が焼失しました。しかし、今でも住職邸の庭に、迫害当時キリシタンの首や祭具等を投げ込んだと言われる南蛮井戸(キリシタン井戸)が残っており、日中、お寺の事務所に丁寧に申し出れば見学することも可能です。
又、幕末から明治維新にかけて活躍した勝海舟が、海軍伝習所の伝習生頭取として来崎した時、この地に寄宿した。

*(聖ラザロ:イエス・キリストによって死から蘇った人:新約聖書ヨハネによる福音書11章1−44節:サン・ラザロとは聖ラザロのこと:カトリックでは聖書の偉人や聖人に対して「聖…」という表記をする。)

  ☆ 26聖人殉教地から徒歩2分
 
   
C 
中町カトリック教会 (なかまちきょうかい)


中町カトリック教会のステンドグラス


  大村藩庭跡に1896年、パピーノ神父の設計で建てられましたが、原爆で浦上天主堂ほどではありませんでしたが無残にも破壊されました。1951年、現在の姿に再建されました。白い尖塔が美しい教会で、1999年のNHK「行く年来る年」にも紹介されました。

教会の角には、女子パウロ修道会の書店「セント・ポール」があります。文書伝道のために献身した女子修道女の方々が親切に応対して下さいます。最近では、プロテスタント関係の書籍やCD類も取り扱われています。美しいハガキや絵本などが豊富に取り揃えられており、ぜひ立ち寄ってみたい所です。

  ☆ 長崎駅から徒歩5分。26聖人殉教地から徒歩5分。
   
〔オプション〕
長崎県庁: 岬の被昇天のマリア教会跡、海軍伝習所跡

教会跡記念碑
長崎県庁:教会跡記念碑


  岬の被昇天のマリア教会は1601年に建てられ、当時、日本の教会のなかではもっとも壮麗な教会だったと伝えられています。
当時、教会の時計塔からは、人々が聞き惚れたという3つの鐘の音が長崎の町に鳴り響いていました。
日本イエズス会本部、セミナリヨ(神学校)、コレジオ(大学)、印刷所などカトリック伝道の中枢機関や、西洋技術の最先端が集まっていて、活気あふれる場所だったことでしょう。しかし他の教会と同じく、1614年の大禁教で取り壊されました。 1855年には海軍伝習所がこの場所に開講され、勝海舟など各藩の若者達がオランダ海軍士官ら教官の元で、海軍事学や近代科学について学んだ場所です。

   
D 
桜町小学校: サン・ドミンゴ教会跡

サンドミンゴ教会跡


  1609年、長崎初代代官の村山等安が寄進したこの土地に、ドミニコ会修道者によって建てられました。 2001年春、現桜町小学校新築工事のために現地を掘り返した際、当時の教会跡が発見され、日本では数少ない貴重な遺構として注目されています。 教会地下室の貴重な遺構などが小学校新築後、一般にも公開予定です。

サンドミンゴ教会跡 ☆ 公会堂電停より徒歩5分 (県立美術館とほぼ隣接)
   

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