Being Nagasaki~ 日本バプテスト連盟 長崎バプテスト教会 ~                           English / Korean / Chinese

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「被爆のころ」 西本 信夫

 昭和二十年八月九日の朝、昨夕からの夜勤を終え帰り仕度をしている私に、加藤工長から 「引き続き昼勤をするように」と、命令が出た。

 その命令を素直に聞くと、今夕からの夜勤まで含めて三十六時間の勤務になる。そして明日の朝になると、又「引続き昼勤を」ということになりかねない。
一般工員ならいざ知らず、いかにお国のためとはいえ、学徒報告隊員には、それは少し酷というものだ。私は、きっぱりと断わった。いや、よくぞ断れたと思うのだが……。

 加藤工長の命令を振り切り、長崎市立商業学校雨天体操場に疎開中の三菱長崎兵器製作所・精密工場を出て、私は家路を急いだ。

 ちょうど、長崎県立高女(現、県立東高校)の裏道にさしかかった時、登校途中の弟に会った。弟は長崎市立商業高校の一年生、私の三年下級生である。上級生と下級生の兄弟は、幾らか照れくさそうにあいさつの敬礼をかわし「まだ警戒警報が出ているから、気をつけて行くんだよ」と声をかけたが、これが弟の元気な姿の見おさめになろうとは、神ならぬ身のわかろうはずもなかった。

 夜勤の疲れで、ぐっすり眠っていた私は、一瞬の内に何故か目覚めて、夜具の上にキョトンと座っていた。わけが理解できぬまま家の中を見まわすと、襖、障子等の建具はことごとくなくなり、二段物の本棚が、私のすぐ左側に倒れている。慌てて外を見ると、ゴーッという物凄い音とともに、市内一面にわたってもうもうと土煙りがあがっている。

 原爆投下の瞬間である。

 急いで母と二人、裏山の防空壕に逃げこむ。

 不安な時間が訳もわからぬまま、刻々と過ぎて行く。やがて、金比羅山の登山道を、浦上方面から山越えで逃げてきた人達が、二人、三人と連れだって駆け下ってくる。

「浦上方面は全滅!」

「新型爆弾が落ちた!」長崎市民運動場裏手より彦山方面を見る

 口々に答えては走り下って行くが、私らには、なんの事かよく理解できない。しかし、とにかく浦上方面が大変なことになったらしいことは、なんとなく想像できた。

 時間が経つにつれて、逃げてくる人達の負傷の度合いがひどくなってくる。

 父、姉、兄は、幸い浦上とは逆方向の戸町、日見方面にいたので、夕方までに無事に帰ってきたが、弟が帰って来ない。探しに行くにも浦上方面は一面の火の海で、とても行けない。

 いらだちと、心配と、不安と、恐怖の、長い一夜が明ける。弟は帰ってこない。
 夜の明けるのを待ち兼ねて、さっそく山越えをして、探しに出かける。

 私達は、地獄のド真中を歩いていた。

 焼けただれたガレキの原に、真黒にこげた死体が幾十幾百となくころがっている。中には、幼な子を抱きかかえた母子の、痛ましい姿もある。息絶えだえの中から「学生さん、水を飲ませてください」と、か細い声をかける人もいる。なんと、むごい光景であろうか。弟も、こんなむごたらしい姿で、何所かで死んでいるのであろうか。

 地獄の原野を、肉親の安否を求めて、真黒にこげた顔をのぞきこんで、さまよう人、人、人。

 やっとの思いで、長崎商業に着く。

 校舎も工場も焼けてしまい、講堂に保管してあった味噌、醤油等の食料品がくすぶって異臭を放っている。

 弟を探すかたわら、工場を見に行くと、焼けただれた機械のそばにひとかたまりづつの骨が落ちている。私の担当の機械のそばにもあった。これは誰だろう。誰が、この機械を操作していたのだろうか。

 昨日の朝、加藤工長の命令に従っていたとすると、この焼けた白骨は、確実に私自身なのだ。思わず背筋を、ズーンと冷たいものが走りからだがブルブルッとふるえる。

 気をとりなおして、必死に弟を探す。

 校舎の中、運動場のすみずみまで手分けして探すが、どうしても見つからない。
「何所か、山の中に逃げこんで、死んでいるのでは……」

 かも知れない。これだけ探しても見つからないのだから……。

 もう探しようもないが、時間があるので、念のためにもう一度探したが、やはり見つからない。遂にその日はあきらめて、一旦自宅に戻る。声もなく疲れた体を休めていると、警防団の人が「息子さんが、助けを待っていますよ。」と、知らせに来てくれた。

 「何所にいましたか」と尋ねると、学校の玄関にいたとのこと。あれだけ探したのに、おかしいとは思いながらも、再度、地獄の原野を長崎商業学校に急行する。

 いた!。背中一面に大火傷を負った。むざんな姿の弟は、学校の玄関に、戸板の上に寝かされていた。顔のそばに、お握りが二つ、誰方からかいただいたのであろう。一つは半分ほどたべている。

「痛かったろう」
 母が、オロオロした声で慰める。

「うん」
 弟の返事は、意外にも冷静そのものであった。私が着ていたシャツを、そっと着せてやる。火傷というよりも、その傷は肉の深奥部まで煮えただれている。痛いなんて、なまやさしいものではなかったであろうに。思わず涙がこみあげてくる。

 二人一組で壕掘りをしていたが、ジャンケンで負けた組が、掘った土を外に運び捨てる役だったらしく、外に出て、土をヨイショと捨てたとたんに、何千度もある放射熱を裸の背中一面にまともに受けて倒れたという。

 なんという運命のいたずらであろう。

 一人は、イエスと言うべきをノーと言って助かり、一人は、ジャンケンに負け、壕の外に出たほんの一分間が、運命の一瞬であったとは

 原爆という恐ろしくも、悲しい洗礼を受けた若い魂は、苦しみの言葉、ノロイの言葉一つ残さず、二日後に、静かに昇天して行ったのである。

 (聖三一教会)

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牧師: チョ ウンミン
事務スタッフ: 荒木真美子      竹内洋美
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ゴスペル音楽ディレクター:
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第一礼拝:毎週日曜日9:00am

第二礼拝:毎週日曜日11:02am

賛美集会
毎月第三土曜日 3:00pm

English Service (英語集会)
Sunday 5:00pm

祈祷会:毎週水曜日7:30pm

その他の集会につきましては
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