HOMEBACK
★★★★★ お薦め散策コース
長崎へようこそ  
 

B コース : 眼鏡橋から出島・大浦方面 A

   
B 
出島(でじま)と和蘭(オランダ)商館跡

出島のミニチュア
出島の再現ミニチュア




  江戸時代初期、カトリックの教えを布教するポルトガル人を隔離し、海外への唯一の出入り口として1636(寛永13)年に「出島」は完成した。当時長崎町内に分散宿泊していたポルトガル商人を集住させるためであったが、その後の鎖国令により国外追放となり、1641年に平戸にあったオランダ商館がこの地に移され、1855(安政2)年の日蘭和親条約の締結までの間、オランダ人他外国人は出島以外一切の出入りを禁止されることとなった。キリスト教禁教令により、貿易だけを目的として出島に滞在しする条件をのんだオランダ人は、商館長以下すべて連合オランダ東インド会社(VOC)の会社員に限られ、一切キリスト教に関係するものを持ち込むことが許されなかった。しかしながら、宗教改革により国民の大部分がプロテスタントとなっていたオランダ人の中には、出島で密かに祈り、讃美を歌っていた船乗り達がいたことであろう。出島で「オランダ正月」として年に一度祝われていたのは、実はキリスト誕生を祝う「クリスマス」であったことは、当時の奉行所にはついに見破れなかった。

この出島経由で日本に初めて入って来た西洋文化が多くある。パンやハム、カステラ、トマトやザボン、けん玉やビリヤード、ゾウやラクダなど、出島資料館を訪れて驚いて頂きたい。
現在、出島資料館本館となっている建物は、開国後の1877(明治10)年、日本最初のキリスト教プロテスタント(新教)の神学校(牧師や伝道者の養成学校)として使われたものである。明治に入り、ここ出島に二つのプロテスタント教会(聖公会とメソジスト〔美以〕教会)が建てられ、聖公会は現在オランダ坂入り口の聖三一(せいさんいつ)教会として、メソジスト教会は孔子廟横の日本キリスト教団長崎教会として存続している。

現在この出島近辺は2010年頃を目指して往来の出島を復元させる事業が行われており、年々新たな建造物が再建されはじめており、今後が期待される。

出島神学校出島神学校
 

☆築町電停下車、徒歩3分

   
〔オプション〕  唐人屋敷跡(とうじんやしきあと)

唐人屋敷跡入り口

唐人屋敷跡入り口


  江戸時代の初期、長崎に来た唐人(中国の人々)は長崎市中に散宿していたが、密貿易を取り締まる目的と、キリシタン禁圧を行うために、十善寺郷の幕府薬園の地に唐人隔離のための唐人屋敷建設が進められた。1688(元禄元)年、現在の館内町ほぼ全域の約3万u(9400坪)、出島の2.5倍の規模が完成し、周囲を掘りや竹の柵で囲った。1859(安政6)年の開国後に廃屋化し、1870(明治3)年に焼失していらい、土神堂(どじんどう)などが残るのみで往来の姿は偲ぶことが出来ない。かつて日本においてもゲットーのような隔離施設が作られ、西洋人だけでなく、アジアの人々に対しても差別や恐れを抱いていたことを忘れてはならない。 少し離れているが、石橋電停側にある孔子廟と中国歴代博物館(中国故旧博物館提供)などでは中国文化に触れることが出来る。 

 

☆唐人屋敷跡(現在、館内町) 築町電停下車徒歩10分

   
C  オランダ坂と東山手(ひがしやまて)地区

オランダ坂

オランダ坂


  東山手から南山手にかけて、1859(安政6)年から1899(明治32)年の約40年の間、外国人居留地として、出島に比べると自由はあったが、外国人はこの地区に住まうことになった。

ツタのからまる石垣の間に位置するオランダ坂は、坂の町長崎を代表する美しい坂道である。現在は、活水学院前の切り通しをオランダ坂と呼ぶが、他にも2つの坂がオランダ坂と呼ばれていた。オランダ坂上には明治20年代後半に建てられた7棟の洋風住宅が残っている。特に、東山手十二番館と呼ばれる木造洋館は、長崎におけるキリスト教主義学校の歴史を詳しく紹介しており、近代日本の夜明けにいかにキリスト教の外国人宣教師たちが日本人に教育を通して献身的に奉仕してきたかを学ぶことが出来る。長崎在住の宣教師たちの尽力により創設されたプロテスタント系の学校は・・・

 フルベッキ→H.スタウトにより東山学院(後、明治学院へ)。 E.スタウトにより梅光女学院(下関)。 E.ラッセル女史により活水女学校(現活水学院)。J.M.ギール女史は活水で5年活躍し、その後福岡女学院となる学校を創設。C.S.ロングは鎮西学院。C.M.ウィリアムスは長崎での布教活動の後に、東京に移り立教学院を創設。
 

  ☆東山手十二番館  市民病院前電停か海岸通り電停下車徒歩7分 入場無料
   
〔オプション〕 
 活水学院(かっすいがくいん)・・・活水女子大学・短期大学

活水学院小チャペル
活水学院小チャペル


  オランダ坂を登りきると、1979(明治12)年、米国人宣教師エリザベス・ラッセル女史によって創設された、プロテスタント系メソジスト派の女学校の活水学院がある。日本女子教育の発祥の地でもあり、当時遅れていた子女への教育的差別偏見を乗り越えたパイオニア的存在。明治の時代から多くの各方面において指導者的女性を生み出してた。その中には、卒業後渡米し我が国の女医の先駆者となって活躍した井上トモ、初の女性大臣となった中山マサ、幼児教育の母と言われ西南学院大学児童教育学科と保育園・幼稚園を生み出した福永(徳永)津義、代議士となり赤線廃止に尽力した神近市子などがいる。
現在も大学として使用されているため、通常一般の観光客は敷地内までは入れないが、事前に許可を取り、学内のチャペルなどを見学することも可能。
      

  ☆市民病院前電停か海岸通り電停を下車 徒歩15分

TOP

前へ戻る
 Bコース 次へ進む