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『神さまの深いあわれみによって』 金賢姫

 北朝鮮元工作員「金賢姫:キムヒョンヒ」 回心の証を掲載するにあたり 

 1987年11月29日、乗客・乗員150人を乗せたバグダッド発ソウル行きの大韓航空機KE858便がミャンマー沖で消息を絶った。2日後、バーレーンの空港で「蜂谷真一」「蜂谷真由美」という日本人名義の偽造旅券を持った男女が身柄を拘束され、2人はその場で服毒自殺をはかり、男性は死亡、女性は生残った。同年12月に女性はバーレーンから韓国へ移送され、取り調べの結果、2人は朝鮮民主主義人民共和国の工作員、金勝一と金賢姫であると判明。金賢姫は航空法違反などで死刑判決を受けたが、90年4月に特別赦免を受けた。

 金賢姫は取調べ中にクリスチャンだった捜査官たちに影響を受け、聖書を読み、回心し、後にソウルのヨイドにある中央バプテスト教会においてバプテスマ(洗礼)を受けた。取り返しのつかない犯罪〔はんざい:Crime〕を犯した事実は変わることはなく、遺族の人々の悲しみを忘れることなくその償いをする日々が続く。しかし、神によって罪〔つみ:Sin〕を赦され、韓国国民の温情によってもう一度人生をやり直すことが出来た喜びを彼女の著書にも、そしてこの証しにも綴っている。現在、彼女は結婚し、韓国のある町でひっそりと暮らしている。近年の北朝鮮の置かれた状況を知れば知るほど、金賢姫も独裁国家による被害者の一人であったことを思わされる。

 この文章は「百万人の福音」(いのちのことば社)のインタビューに答えた貴重な彼女の体験と回心の証しである。二度とこのような恐ろしいテロ行為をしてはならないし、させてはならないことを心に留めて読んで頂きたい。

<感謝:数年間家に引きこもりっておられた青年が、教会に来て、時間のある時にPCに向かってタイプ奉仕をして下さり、この文章や他のHPの文章も完成して下さいました。M君に感謝します>
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   『神さまの深いあわれみによって』 金賢姫(キム・ヒョンヒ)

 あの大韓航空機爆破事件から十四年が経った。そして昨年九月、世界が自爆テロによって大きく揺さぶられた。十四年前の事件当時も二人の工作員は自殺をはかった。一人は死んだが、一人は奇跡的に助かった。「蜂谷真由美」と名乗った金賢姫その人だった。後に多くの手記を発表しマスコミにも露出の多かった彼女だが、救いの証しを明確に語ったものは少ない。なにが彼女をそうさせたのか? そしてどうやって神を信じるに至ったのか。小誌九一年四月号(百万人の福音:いのちのことば社)のインタビュー記事をここに改めて再録したい。

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 まだ信仰をもって間もない私のような者に、このようにして、神様のことをお証しする機会を与えてくださったことにまず、感謝いたします。

 小学校三年生の時でしたが、選挙の時期にスローガンを歌い叫ぶ歌唱隊というのがありました。投票率を高める宣伝のためです。私はその時、旗手として先頭に立って、町中を練り歩きました。その晩はずいぶん遅く家に帰って、翌朝のことです。起きてみると、突然足が痛くなって、立つことも歩くこともできないのです。家の者は驚きあわて、母は泣き叫んで、大騒ぎでした。 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では小児マヒは不治の病と言われ、二十四時間以内に治らないと障害が残ると言われ、恐れられていました。 でも、遠い親戚にあたる人に針灸師の先生がいて、たまたまその方が平壌に滞在していたので、すぐに診てもらって治ったんです。 母はうれしさのあまり、「神さまのおかげだ! 」「神さまが助けてくださった」と叫びました。 私は、「あら、お母さんがヘンなことを言うわ。神さまなんていないのに」と思いました。それがあまりにも不思議で、妙な印象を受けたので、今でもはっきりと覚えています。

 これは、私がこちら(韓国)へ来てからわかったことなのですが、母は日帝時代(1910~1945年の日本帝国主義の植民地統合の時代)に日式(日本式)のミッション・スクールに通っていたということです。 この夏(90年)、叔父に会ってそのことがわかったのです。北朝鮮では宗教を信仰することはとても困難なので、それまで母の口から、ひとこともそんな話は聞いたことがありませんでした。 ミッション・スクールですから、当然教科の中に聖書の勉強もあるでしょう。母がそれを、義務的に学んでいたのか、それとも個人的に信仰をもっていたのかは知るすべもありませんが。 母はもしかしたら、信仰をもっていたのではないかと思います。もし、母に会えたら? ええ、そのことを聞いてみたいです。

 私は1962年1月27日、平壌市で生まれ、89年に工作員として北を離れるまで、平壌で暮らしていました。78年に平壌外国語大学日本語学科に入学し、二年に在学中、党の面接を受け、工作員として選抜されたのです。 最初は工作員に選ばれたとは知らず、どこへ行くのかも知りませんでした。家族と離れて暮らすのはつらかったのですが、党が私を使おうとしているのだ、と光栄に思わねばなりませんでした。 そして七年間、招待所(工作員の訓練所)で教育を受けました。 招待所へ行く直前のことですが、軍部の最高実力者の奥さんが息子の嫁捜しのために、大学を訪問していて、私も一度面談をしたことがあるんです。

 その後、招待所から休暇で家に帰った時、母はその夫人が訪ねて来て、私の写真がほしいと言ってきたと言いました。「娘は工作員に選ばれた」と母が答えると、夫人はとても失望して帰って行ったそうです。 もし私が工作員に選抜されず、その高官の息子のお嫁さんになっていたら、私の人生は全く違っていたでしょう。「飛ぶ鳥も落とす」と言われる北の権力者の家に嫁いでいたなら、聖書を読んだり、信仰をもつことはなかったと思います。
 でも、私はその方の息子の嫁ではなく、神さまの子としていただき、イエスさまの花嫁としていただいたことを思うと、感激でいっぱいです。

 神さまという存在については北にいた時ですか? ええ、全く信じていませんでした。
ご存じだと思いますが、向こうでは金日成の思想以外は存在できません。まだ舌もよく回らないような幼いころから、「金日成元首様ありがとうございます」ということばをまず、覚えさせられます。幼稚園でも、学校でもその思想を教えられます。国定教科書に記された歴史は、金日成の歴史なのです。

 その中で、宗教というものは、最も反動的で、迷信的であると教えられてきました。そういったことを教える映画もあります。 私が信仰をもつようになったのは、こちらに来て、私の周りにいる捜査官の方がクリスチャンだったからです。いつも寝起きをともにしているオンニ(韓国語でお姉さんの意味。ここでは、女性捜査官)が、私に聖書を下さって、まず「箴言」を読むように勧めてくれました。
 聖書は、北では見たこともない本でしたので、最初はとても驚き興味をもちました。
 でも、それは単なる興味であって、信仰については反発していました。宗教は迷信だと言われてきたんですから、そんなものを信じているオンニは「なんてかわいそうな人」などと思っていたのです。私はそんなものは信じない、と。

  <捜査官によると、彼女は韓国へ来た当初、とても精神的に不安定で、生きる気力もなく、自殺をしかねない状態だった。そこで、彼女の身辺にいた数人のクリスチャンの捜査官たちの間で、彼女に聖書を読ませるのがいいだろうということになったという>

 箴言を読んだ時は、とても胸が熱くなりました。それまで、読んだことのないことが書かれていたからです。北では、金日成思想が唯一の正義ですから、個人の考えや生き方ということは全く重んじられません。でも、この箴言には、人間一人ひとりが生活の中で、心の中で守るようなよいことばが教えられていると、見た瞬間に感じたのです。
 「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5、6)
この個書は、特に魅かれました。
 それまでは、金日成思想と革命に関する書籍しか読んだことがなく、金日成のために命を捧げることがいちばんの幸せだと教わってきました。けれども、聖書を読んでみて、人間は神さまが一人ひとりのたましいをつくられて、愛しておられるのだと知ったことは、最も大きな発見でした。
 けれども、聖書を読み始めてすぐに理解できたわけではありません。箴言はとても現実的というのか、私には受けとめやすかったのですが、他の個書はなかなか理解できませんでした。天地創造のアダムとエバのところなど、昔話のようでおかしいと思いました。
 そのうちオンニが、「聖書を自分で読むだけではわからないでしょうから、牧師先生に教えてもらったら?」と言ってくれました。そして、韓基萬牧師(基督教韓国浸礼会:キリスト教韓国バプテスト教会)先生に会いました。先生は私に、聖書を創世記からずっと、わかりやすく語ってくださいました。わからないところは、ずいぶん質問もしました。
 そうして学ぶ中で、私の心は疑いの思いから、だんだんと信じる思いへと変えられていったのです。

 「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)

 新約聖書のこの所を読んだ時、ハッと胸を衝かれました。イエスさまは、私のような者の罪の罰を代わりに受けて、十字架にかかってくださった。そんなにも、私を愛してくださっていたとは。
 イエスさまの十字架を、初めて自分のこととして受けとめた時、感動で涙があふれてきました。この瞬間に「イエスさまを信じよう」と、決心をしたのです。

 伝える? 信仰をもったことをですか。オンニたちとは、ずっと寝食をともにしているんです。食事もお風呂も外出も、牧師先生に会って聖書のお話を聞く時も、いっしょです。ですから、改めて「私は、イエスさまを信じる決心をしました」と言わなくても、私の心の変化に気づいてくれたと思います。そして、そのことを心から喜んでくれました。
 

 信仰をもって変わったこと、ですか? 目に見える部分で自分がどう変わったかはあまりわかりませんが。

 神さまを信じる前の私は、絶望して、とても悲観的でした。こちらに来て、自白をした後、裁判所へ行った時、遺族の方の私を罵る声や泣き叫ぶ声が聞こえてきて、「ああ、あの時、死ぬべきだったのに、なぜ死ねなかったのか」と思いました。

 罪責感のため、胸が張りさけそうな思いでいっぱいでした。生きていることに対する感謝などみじんもありませんでした。

 でも信仰をもった今は、神さまに感謝しています。これまでのことを、神さまからの試練だと思うようになりました。私のような者を生かしてくださったのは、いったい何の目的があってなのか、今の私にはわかりません。けれどもきっと、何か神さまのご計画があるのだと信じています。

 「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです」(ヤコブ1:2,3)

 このみことばに、いつも励まされます。今、私は十字架のペンダントをつけていますが、北では、このようなものを身につけることはできません。キリスト教自体に、悪いイメージが植えつけられていますし、十字架は恐ろしい処刑の道具という印象がありますから。
ところが、84年に金勝一(大韓航空機事件で彼女と共に行動した工作員で、服毒自殺死した)とヨーロッパを旅行した時、お店で十字架のペンダントを見つけたので、思わず買ってつけて帰りました。金勝一は、不審そうにしていましたし、そのままつけて帰って大丈夫かなという不安もありましたが、なぜかとても気に入っていたのです。

 親戚や知り合いの人たちは「あれ、十字架なんかつけてる」と、変な顔をしましたし、そんなのはよくないとも言われましたが、指導員は工作員として偽装できていいと、ほめてくれました。
 それで私は、ますます愛着をもってつけていました。あの頃は、イエスさまのことなど、全く考えも及ばなかったのですが。

 たしかに、北で私のような教育を受けてきた者が、本当の信仰をもつことは難しいと思われるかもしれません。私自身、迷信とか、悪いものと考えていたキリスト教に自分が触れるとは思ってもみませんでしたし、まして信仰をもつなんて。
 でも、たしかにみことばを通してイエスさまが私をとらえてくださいました。神さまの深いご愛だったとしか、私には言いようがありません。私が神さまの存在さえ知らず、全く離れたところにいた時から、神さまは私を知っていてくださり、愛していてくださったのです。
 バーレーンで、毒薬入りのアンプルを飲んで意識不明になり、三日目に意識が戻りました。その毒薬とは、秘密を厳守するために、もしもの場合は自決するようにともらったもので、タバコのマルボロのなかに液化された青酸カリのアンプルが入ったものです。青酸カリはたとえ少量でも、飲むと即死するはずですが、私は三日後に生き返ったのです。
 イエスさまは、十字架にかかって三日後によみがえられましたが、同じように私も再び生かしていただきました。常識では考えられない、人間の力ではできないことを、神さまはされたのです。
 バーレーンの病院で意識を取り戻した時は、なぜ死ねなかったのかと、自分の命を恨むような気持ちでしたが、神さまの深いあわれみを知ってからは、全知全能なる方がご計画のうちに私のような者をも生かしておられるのだと思い、このことも神さまが下さった試練だと感謝できるようになりました。
 でも、犠牲になった方々の遺族のことを思うと、申し訳なく、つらい気持ちでいっぱいです。これからは神さまのみこころに従って、贖罪のために生きていきたいと思っています。
このような悲惨な、愚かなことが再び起きることのないように、私にできる限りのことをしていきたいのです。

 今の毎日の生活は朝起きると、聖書を読んで祈ります。その後は、軽く体操をしたり、部屋を掃除してから朝食をとった後、北に関することで、いろいろと話したり、捜査官の質問に答えたりします。今、手記を書いているのですが、その執筆にかかることもあります。
午後は、韓国での生活に適応するために本を読んだりします。また、オンニたちとショッピングに出かけることも、週に一、二回ですが、あります。

 私だと気づく人? まず、いないですね。韓国の人はみな忙しいのか、他人には関心がないみたいで、さっさと歩いていますから。
 聖書は毎日、必ず読みます。一日に新約聖書を、二、三ページは読みます。週に一回は牧師先生に会いますので、わからないことは、質問します。今、聖書の学びのテキストを使って、学んでいます。自分なりに聖書から恵みを受けたことを書いて、先生に見ていただくこともあります。

 クリスチャンの証しの本も読んで、信仰の助けにしています。日本の、三浦綾子さんの本もたくさん読みました。特に、「道ありき」は感動しました。

 私は、まだ本当の意味での自由の身ではありませんので、教会へは行くことができません。証しをするために、数回行っただけです。いつか、教会へ行けるようになって、毎週礼拝を守り、皆さんと交わったり、証ししたりできればいいなと思います。
 今は、日曜日はオンニたちといっしょに、部屋で聖書を読んだり、賛美をして過ごしています。賛美の歌をたくさん教えてもらいました。「おどろくばかりの」(聖歌229番)が特に好きで、よく歌います。

 私は愛される資格が全くない者ですのに、オンニは、私を愛して励ましてくださいます。私も見倣って、すべての人に愛の心で接しなければ、と思うのですが、まだまだ信仰が弱くて、難しいこともあります。

 今、毎日祈っていることはまず、今まで、神さまが私に与えてくださった恵みに、感謝します。私は大きな罪を犯し、死ななければならない人間ですのに、神さまのあわれみによって生かされて、神の子としていただいたことを、ただただ感謝しています。
 青酸カリを飲んだのに死ななかったこともそうですし、このような大罪を犯してゆるされることはあり得ないことなのに、特赦という特別な措置をとっていただいたことも、神さまのあわれみだと思います。韓国の皆さんにも、心から感謝しています。
 遺族の方々の痛み、悲しみや苦しみを覚えて、神さまがその心に慰めを与えてくださるよう祈っています。

 また、南北の統一のためにも祈っています。一日も早く統一されるようにと。北の実情を考えるととても難しいことだと思いますが。
 本当の統一は、神さまの導きによらなければ不可能だと思います。ですから、北にも福音が伝えられなければ。
 私の家族も向こうにいます。今どんな生活をしているのか、無事でいるのかどうかわかりませんが、元気でいてほしいこのことも神さまに祈っています。

 そして、私自身のためにも祈っています。まだまだ信仰の浅い、弱い者ですので、毎日毎日を神さまの教えに従って生きることができるように、導いてくださいと祈ります。
また、これからどのような人生を歩むべきなのか、何をして生きていくのがよいのか、神さまが示し、伴ってくださることを祈り求めています。

 ★このインタビューは、1990年11月1日、ソウル市内でインタビュアー・吉田耕三牧師(ソウル日本人教会)と編集部記者二名の立ち会いのもとに行なわれた。この後多数の手記が発表されたり、映画化されるなど、日本のマスコミにも一時よく登場していた彼女だが、98年に、韓国の最高情報機関「国家安全企画部」捜査員で彼女の警備員だった男性と結婚。その後は公の場から退いている。

〒850-0003
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Tel: 095-826-6935
Fax: 095-826-6965
牧師: チョ ウンミン
事務スタッフ: 荒木真美子      竹内洋美
音楽主事: 嘉手苅夏希
ゴスペル音楽ディレクター:
     中村百合子

第一礼拝:毎週日曜日9:00am

第二礼拝:毎週日曜日11:02am

賛美集会
毎月第三土曜日 3:00pm

English Service (英語集会)
Sunday 5:00pm

祈祷会:毎週水曜日7:30pm

その他の集会につきましては
教会までお問い合わせ下さい