Being Nagasaki~ 日本バプテスト連盟 長崎バプテスト教会 ~ English / Korean / Chinese
「原爆体験から平和を思う・・21世紀に語り継ぐ・・」 周りを緑の山に囲まれ、深く入り込んだ長崎の港。 第二次世界大戦もようやく終りに近い1945年、日本の敗戦の色濃くなっていた8月9日午前11時2分、長崎の空に世界で2番目の原子爆弾が落とされた。 10万とも云われる人々の命が一瞬に奪い去られた。人々はその凄まじい爆風によって肉がちぎれ、その熱風によって肉が焼かれた。 大橋町の三菱兵器工場技術部3階の窓際で作業していた17才の私は一瞬炎のような光がピカッと目に入ったと思ったとたん気を失っていた。 気が付いたときは天井の梁や多くの材木の下敷になっていた。ようやく這い出した私の目に入ったものはもうもうと巻き上げられた土ぼこりと、めらめらと燃え上がる炎の中、全身真黒に焼けこげ血を流し助けを求める人々の叫び、息絶え絶えの断末魔の声であった。何が何だか見当もつかなかった。何が起こったのか考えもおよばなかった。 どうして原子爆弾が落されなければならなかったのだろうか。 日本はどうしてあの戦争をしたのだろうか。 女学校2年生の頃であったと思う。当時の三菱会館に市内の女学生が集められ戦意向上のための催しがもたれた有名な音楽家により軍歌のようなものを教えられ、敵国人を悪と決めつけて憎むように煽動されたことを覚えている。多感な乙女時代に真実を知ることなく人を憎めと教えられたことを、どう受け止めればよいのだろう。 聖書には「汝の敵を愛し、敵のために祈れ」と教えている。何という相違であろうか。 人間を造られた神は、仰せになる。「神を愛し、人を愛して生きよ」と。 主に感謝。 2001年9月 (長崎バプテスト教会会員) |
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