▶▶信仰告白◀◀

(1947年版)

一、聖書の権威

 聖書は神の感動によるもので、神の人類救済の聖意志を示し、我らの信仰と実践の唯一無比、完全にして真実なる標準たることを信ずる。

二、真の神

 我らは唯一にして真なる生ける神を信ずる。神は無限して全知全能偏在の霊にして、天地の創造主、而して聖きと恵みと愛の完全なる具現者、又父、子、聖霊なる三位一体の神に在し、人類救済の業と天地の支配に於て完全なる人格を顕わし給うものなることを信じる。

三、人間の堕落

我ら人間は神の像にかたどり、聖き創造せられたが、神への不従順により罪に堕ち、永遠の滅亡に定められたことを信ずる。

四、贖罪と義認

 神は、処女マリアより生れし神の独子イエスを賜う程に世を愛し給う故に如何なる罪人もイエスの贖罪の死と復活を信ずる信仰によりてのみ全 き救いを受け、永遠の生命に至る。これは神の恩寵のみによるものにして人の業にあらざるを信ずる。

五、悔改、信仰、新生、聖化、選び

 人は救われるためには真剣なる罪の悔改とイエスを救主と信ずる絶対信仰により再生しなければならぬ。同時に我らに働く聖霊の啓導によりて新生の経験をなし、ここより完全なる霊化に与かることを信ずる。また神の選びは神の永遠なる目的にして、罪人の新生、聖化、救済の業は行われ、福音を信ずる結果によってこれを確認し得ることを信ずる。

六、新約教会

 基督教会は福音を信じてバプテスマを受けたる信者の自主的集会にして聖なる交りをなし、礼典を守り、聖支配に従いキリストの言葉に示されたる賜与、権利、恩恵とに与かる。新約教会の役員は牧師と執事であり、その職能はテモテ書、テトス書が示すところである。

七、バプテスマと晩餐

 バプテスマは父、子、聖霊の名によりて行わるる信仰者の水の浸礼なることを信ずる。この形に於て十字架にかけられ死して葬られ甦り給える主イエス・キリストを信ずる我らの信仰を表わし、この主イエス・キリストのいさおしにより我ら罪に死に新しき生命に甦りたるを象徴する。しかしてバプテスマは教会の交りに入る不可欠の礼典である。また我らは主の晩餐を礼典として守り、パンと葡萄酒とを用い、厳格なる自己反省を以てこれに与り基督の犠牲的愛を記念し、同時に主の再臨を待望するものである。

八、主の日

 我らは一週の始の日(日曜日)を主の日として基督の復活を記念し、この日を宗教的目的のため又各個の魂のために聖く守るべきものなることを信ずる。

九、教会と国家

 国の政府は神の定め給えるものにして、人間社会の安寧秩序のためなることを信ずる故に、我らは、我らの良心の唯一の主にして王の王たるキリストの御旨に反せざる限り、国家政府のために祈り、良心的にこれを敬しこれに従うべきものなることを信ずる。

十、来世

 我らはこの世の終末の来ることを信ずる。この時キリストは世を審き邪悪は永遠の滅亡に、義人は永遠の喜悦に定められる。この審判により神はその義に基き人間を永遠に天国又は地獄に定め給うことを信ずる。